絵は才能で決まります。
- 私は幼稚園のクラスで一番上手だった
- 比べる対象が雲の上の存在だから、自分には才能がないと感じる
- 自分の才能のない分野で、努力でなんとかなると言われたらムカつきませんか?
- 絵の才能のある人が成長につれて能力が伸びただけにすぎない
- 絵は才能。ただその才能にも大小があるだけ。
- つまり何にでも当てはまる。
まずは私の普段描いてる絵をお見せします。
私はアラサーの絵描きです。
絵は才能じゃない、努力で決まるんだ!という説もありますが、才能がないと絵の能力は開花しません。
私は、絵は才能で決まると思っています。
私は幼稚園のクラスで一番上手だった
私は幼稚園のころにクラスで一番絵が上手でした。
パッと見て他の子より描き込みが多く、わかりやすい絵を描いていました。
今の私の絵の実力は上に載せた程度しかありませんが、幼稚園生の時点で周りの子供達に比べて抜き出て絵が上手でした。
大人になっても絵が上手い人は、5歳のときにすでに周りの子供達より絵が上手いです。
5歳の時点ですでに能力が目に見えて分かるものです。
小学校に入学しても中学校に入学してもクラスで一番絵が上手でした。
中学の美術のテストでも、模写を描いて評価される試験で、学年で一番上手かったと先生に言ってもらいました。
しかし、小学校中学校というところでクラスで一番程度というところに落とし穴があります。
私のレベルというのは、公立のクラスの人たち30人の中で一番上手い程度のレベルです。
ただの同じ地域に住む30人のクラスという、得意不得意が違う人達の中で、絵の上手さで一位になっただけです。
絵が描けない人たちしかいない中で一位になっていただけです。
その程度のレベルしかないので、たとえばクラスで一番絵が上手いと言われてきた人達を30人の集めてきて私が入るとしたら、実力は下から数えたほうが早いでしょう。
絵が得意いう同じ得意分野で集められた人の中では、私はただの凡人以下です。
比べる対象が雲の上の存在だから、自分には才能がないと感じる
絵の趣味がある時点で才能はあります。
皆さん、クラスで○番目に上手かった時期を思い出してください。間違いなく才能はあります。
ただ、自分と比較する対象をネット上のとんでもない神絵師にするから、自分には才能かないんじゃないかと感じてしまうのです。
神絵師とまでいかなくとも、ネットで目立つくらい上手い人達は、きっと才能の塊だったのでしょう。
そんな人達はクラスで一番なんて当たり前。
学年で一番、学校で一番、地域で一番…だったから、才能があることなんて当たり前に感じているのです。
だから、そんな才能のある人がさらに上の神絵師と比べるから、自分には才能がそこまでない、努力でなんとかなったと、凡人を勘違いさせる発言ができるのです。
絵を描けるなら才能はあります。
ただその才能にもスケールの大きさがあります。
日本で活躍する絵描きさんの才能のスケールとは全く違うことに気づいてください。
自分の才能のない分野で、努力でなんとかなると言われたらムカつきませんか?
私は運動全般か超がつくほど苦手です。
幼稚園児の頃から何をするにも怖がりで、どの運動をしても怖い気持ちが付き纏って、運動がすごく苦手な子供でした。
運動が得意な子って速く走れたり、ドッジボールが得意だったり、なにかと運動で目立っていました。
そのような子供達が少なくとも小学校の体育の授業で活躍しているのを見て、運動音痴な私は自分の才能のなさをひしひしと感じました。
そんな私と、ボール遊びでぶんぶんボールを投げている運動得意な子供を比べて、努力してないからあなたは運動できないんだと言う人がいたら確実にイラッとします。
確かに怖がりは努力でなんとかなるかもしれない。
でも筋力のなさは明らかにある。
それなのに、元から怖がりでもなく、筋力もある運動第得意な子供と同等の才能だということに無理があるでしょう。
自分の才能のない分野で、幼少期に才能があった子供達のことを思い出してください。
その子達と才能は一緒だよと言われて慰めにはなるかもしれませんが、努力でなんとかなると言われたとして、それで自分の能力が上がるわけではなく、その差は縮まらないことにはお気づきですよね?
絵の才能のある人が成長につれて能力が伸びただけにすぎない
絵の才能は幼少期に現れていますし、その人たちが上手くなったのは成長期に身長が伸びたのとなんら変わりありません。
絵の能力が伸びるのは身体の成長と同等の当たり前のことなのです。
確かに上達した人は努力した面もあるかもしれませんが、絵の才能を持って産まれていないと能力を伸ばすことすら出来ません。
私が幼少期から運動音痴で、大人になっても運動の能力を伸ばすことが出来ないように、絵を描くのが苦手なのはそもそも才能がないからです。
能力は才能があるから伸ばせます。
幼少期にその才能を感じることはあったのかを自分に問いかけてください。
絵は才能。ただその才能にも大小があるだけ。
何度も言いますが、絵は才能で決まります。
才能の大小で描ける絵のレベルが決まります。
知り合いの中で活躍するレベルなのか、市で活躍レベルなのか、日本で活躍するレベルなのか、SNSを通じて世界中の人に愛されるレベルの絵描きなのか、才能に応じてスケールが決まります。
才能がないところに能力の芽は出ない。
才能について数年間考えて、ようやく出た結論です。
つまり何にでも当てはまる。
勉強にせよ、スポーツにせよ、絵にせよ、才能があればその才能の大きさによって能力が伸ばせます。
イメージとしては、才能という上限がある器があって、努力で上限まで伸ばしていくという感じですね。
だから才能のある人でも努力しないと当然伸びないし、勝手に成長する面と努力と両方やって、華やかな実績の残せる人になるのでしょう。
才能の芽は5歳くらいで周りの子供と比較して分かるものですし、そこで突出した才能を感じないならば、その程度しかないということです。
残念ながら人間の才能は生まれつきです。
特別な才能がないことを嘆いても、幼少期からわかり切っていたことなので、諦めましょう。
それよりも、日々の生活を楽しく過ごして幸せに生きることのほうが重要です。
生活が不安定だから才能のなさをいちいち感じては落ち込んで、努力でなんとかなるという思いにすがるのです。
生活が安定すると、才能がなくても趣味が楽しめればそれでいいやと思えます。
才能がないなら、無いなりに楽しく生活しよう、とお伝えしたかったのです。