私は子供のころから絵を描いてきて、小学校の卒業文集の表紙を描かせてもらった以外に表彰など華やかな実績が何一つありません。
周りの絵を描かない人には褒められても、絵をある程度描いている人からの反応はもらえない。
絵の才能がないんだと落ち込むことも多かったです。
しかし才能について自分で判断を下す必要はないのかなと最近思っています。
- 才能がどのくらいあるかは他人からの評価でわかる
- 才能がある人は高校生時点で完成してる
- 絵の才能はある・ないの0か1かではない
- 絵から離れて能力の客観視をする
- 大人になれば能力への納得ができるようになる
才能がどのくらいあるかは他人からの評価でわかる
才能は自分であると言うものじゃなくて、周りの人が言い出すことだと思います。
私は絵を褒めてもらえることはあります。
でもイラストレーターになれるほどの才能があるとか、一度辞めたアニメーターにもう一度挑戦したほうがいいと言われることはないです。
私は絵への執着が酷くて、自分にも眠れる才能があっていつか上手くなるかもしれないと思っていました。
しかし他人が言う言葉は才能のレベルを表していると思います。
確かに私にも絵の才能がほんの少しはあるから絵を褒めてもらえるのでしょうが、職業にするほどじゃないということが他人の言葉でわかります。
才能がある人は高校生時点で完成してる
才能のある人は高校生くらいの時点ですでに完成してることが多いです。
SNS上で中高生の絵描きさんの絵を見ると、ものすごい完成度の人がいます。
そういう天才型の人がいるのは事実です。自分と比べるのはやめましょう。
大人になってから上達している人もいるよね?という意見もあると思いますが、そんな人は幼少期にすでに絵が上手いです。伸ばす努力を大人になってしただけだと私は思います。持って生まれた才能を伸ばしただけです。
絵の才能はある・ないの0か1かではない
中高生で完成してる天才型と比べてしまっては才能がないということになってしまうかもしれません。しかし絵の才能にもグラデーションがあって、周りにいる人に上手いと言ってもらえるくらいには上手で才能があるでも構わないと思います。
才能がある・ないの二択にするのはやめましょう。
絵から離れて能力の客観視をする
才能について考えているときは絵を描いていても楽しくないはずです。
逆に必死に努力して燃えているときは、自分だってすごく上手くなれると自信過剰になりがちです。
一旦絵を描くことから離れて冷静になれば、今までの人生で人から言われた言葉を振り返って自分ってこの程度かなという能力の客観視ができるはずです。
もちろん人から自分の才能のレベルが低く見積もられて悔しいなら、自分にしかわからない根拠があるのです。そういう人は自分を信じて絵を描いてください。
大人になれば能力への納得ができるようになる
成人すると絵の世界で成功している人を目にする機会も増えて、どうしても自分の絵の才能レベルを思い知らされます。
歳を重ねるにつれ、絵を描いて上手くいっている人と自分を比較することも減ってきます。若いと自分にもできるかもしれない!という期待が生まれてしまいます。
成人してしばらくすると万能感がだんだん薄れていくので、今若くて才能について苦しんでいる人は歳をとって気持ちが楽になるのを待ちましょう。